「精神障がいの有無」が事件を生んだのかー『追体験 霧晴れる時』出版トーク(連載3)
取材・記事 土井ひろこ (ライター)
『追体験 霧晴れる時 〜今および未来を生きる精神障がいのある人の家族 15のモノガタリ』の出版を記念し、梅田蔦屋書店にてトークショーを開催。その内容をお伝えする連載3回目は、「精神障がいの有無」が事件を生んだのか。
洲本市の5人刺殺事件(2015年)における兵庫県検討委員会委員も務めた青木聖久先生に、この問題について伺っていきました。
『追体験 霧晴れる時』 〜今および未来を生きる 精神障がいのある人の家族 15のモノガタリ〜みんなねっとライブラリー1【紙・電子】青木聖久(著) 1,300円+税→生涯を通じて5人に1人がこころの病気にかかるともいわれる時代(厚労省みんなのメンタルヘルス)。そのとき家族は過去をどう乗り越え、「霧晴れる時」を迎えることができたのか。15家族の実話
精神障がいと事件を考える
増田:先ほど、青木先生から「病気のことを、あまり知らないうえに、元々自分が持っている先入観との戦いがある。」というご指摘があったのですが、この問題について伺いたいと思います。
「病気と事件」というテーマです。
最近では、これらをすぐに結びつけないような流れになり始めているとは思いますが。どうでしょうか。まだまだ、世間には偏見があります。
青木:そこが今日のテーマの中で、一つ大きなところです。
2015 年に兵庫県淡路島で 5 人の方が殺害されるという痛ましい事件(淡路島 5 人殺害事件、2015 年)が起こりました。加害者は精神科に入院歴があって措置入院していたこともある方でした。
兵庫県では 10 数年前に加古川市で同じような事件が起こり(加古川 7 人殺害事件、2004 年)、対策や方向性をいろいろと出したにも関わらず、同じような事件が起こってしまったということで検討会を設け、私はその委員になりました。
私も淡路島出身だからよく分かるのですが、地方はどこに誰がいるかということがよく分かるところ。
一方、都会に行くと小さいアパートもいっぱいあって、紛れる場がたくさんある。そういう意味で地方は逃げ場が無いんですね。昼間家にいて、どうなんだろうというような周りの目がある。
彼は島を出て都会で暮らしていた頃には仲間と鍋パーティーをするなど、自分が安心できる場がありました。ところが地元に戻ると、「あいつが戻ってきた」と周りの怖い目がある。
そういう目で見られているというのは、本人も怖いですからね。穏やかな表情で見返せない。
本人もつらいんですね。
そこで相乗作用が起こり、事件に至ってしまった。
こんなストーリーだけで考えると、「精神障がい者は危ない人なんじゃないか」、みたいな世間の流れが起こるわけなんですよね。でも、というのが今日の話。
事件と報道
青木:増田さん自身はミニコミ誌の記者や出版社をされていて、精神障がいと犯罪とのことについてどう思われますか?
増田:う~ん、「事件と障がい」ではなく、「本人と事件」というか。
青木:そうです。2019年に川崎市で通学バスを待っている人たちを襲撃する事件が起こりました(川崎殺傷事件、2019年)。その時に、「ひきこもりをしていた人が犯罪を起こした」と報道されました。そうなると世間は「ひきこもりをしている人は危険じゃないか」というような流れになっていくわけですね。
それは非常に誤解を生みます。そうではなくて、もちろん凶悪な事件は断じて許すことはできない、そしてその犯人が結果としてひきこもっていた、ということで、「ひきこもり者が犯罪を行うというのは違うのじゃないか」と支援者たちは異議を唱えられました。
<参考>
川崎市殺傷事件についての声明文(特定非営利活動法人 KHJ全国ひきこもり家族会連合会)
川崎殺傷事件の報道について(声明文)(一般社団法人ひきこもりUX会議)
川崎殺傷事件の報道についての声明文(若者協同実践全国フォーラム(JYCフォーラム)
増田:精神障がいという病気は外から見えませんし、取り上げ方も難しいと思います。マスコミの方にとって。だからといって、ふたをしてしまうと、問題はさらに深くなってしまうと思うんです。
青木:じゃあどうしたらいいか。触れないのがいいか、というと、それはたぶんだめなんですよ。なぜかというか、私たちは先入観を持っています。自分の中で独自の解釈をしちゃいますからね。
大阪の警官襲撃・拳銃強奪事件がありました(2019)。その方には精神科受診歴があり、障がい者枠で雇用されていたという事実があるんですね。
障がい者枠で従業員を雇用した会社では、「思っていたほど、いや思っていた以上に、精神障がいを持ってる人って優しい人が多くて、働いてもらって良かったんですよ。」との声も多いんです。
そうした理解が進むなか、「書かない」「触れない」ということで、それぞれの人が自分の中で独自の解釈をしてしまう。事実は事実として書いて、何が大事かっていうことを伝えていってもらうこともマスコミの使命じゃないかな、と思っています。
取り上げ方のヒントは?
増田:取り上げ方のヒントというか、基本的にこう考えたらいい、というのはありますか。
青木:私はよく「カテゴリー」という言葉を使います。
それは何かというと、「精神障がいを持っているか持っていないか」、これは一つのカテゴリーなんです。
「人はつらい時に相談できる人を持っているか、持っていないか」これも一つのカテゴリーです。
「うれしい時に報告できる場を持っているか、持っていないか」これもカテゴリーです。
もっと言えば、「うれしい時に報告できる人がいるか、いないか」
もう一つ言えば、「自分がしんどいな、つらいなというような時に思いっきり熟睡できるような安心して休息できる場を持っているか、持っていないか」……
これらを考えた時に、じゃあ「精神障がいの有無」というカテゴリーが事件を生んだのか、ということなんですよね。
私たちは日々の生活の中で、非常に腹が立つことがあるんですよね。本当にひどいことをされた、あいつ殴ってやろうか、腹が立ってしょうがない。
しかし、実際に殴る人っていないわけですよね。なぜかというと、友達に相談したり一晩熟睡したりして、朝を迎えるなか、怒りがだんだん小さくなってくる。そして、なんてばかなこと言っていたんだろう、と思える。
ところがそういう相談もできない、楽しみや安心できる場も無い。自分一人だけの世界が続くと怒りは小さくならず、逆に広がっていくんですね。
「孤立しているかどうか」のカテゴリーが事件を生むのではないだろうか
青木:私は最終的に「孤立しているかどうか」のカテゴリーが事件を生むんじゃないかと考えているんです。「精神障がいの有無というカテゴリーではないだろうな」、と考えているので、そこをしっかり伝えていきたいなと思っています。
増田:京都アニメーション放火殺人事件(2019)では、容疑者が治療に携わった医療スタッフに対して「人からこんなに優しくしてもらったことは、今まで無かった」と感謝の言葉を伝えたという報道もありました(京都新聞2019/11/15 )。これも一つのヒントになるのかな、と思います。
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生きづらさに寄り添う『みんなねっとライブラリー』シリーズ
ペンコムでは『みんなねっとライブラリー』を創刊しました。
「みんなねっとライブラリー」は、公益社団法人全精神保健福祉会連合会(みんなねっと)監修のもと、生きづらさを抱える本人と家族が安心して暮らせる社会をめざす一般向け書籍シリーズです。
家族、当事者、医療、福祉、介護など、多方面の著者が執筆し、わかりやすく、広く一般の方に「こころの病」について理解を深めてもらおうという内容です。
シリーズの装丁は、ブックデザイナーの矢萩多聞氏が手掛けます。