源氏物語 明石のうへのおやすみしあと

新刊『源氏物語 明石のうへのおやすみしあと』から「はじめに」を公開します

源氏物語 明石のうへのおやすみしあと

はじめに

一基の石碑から、忠国さんと『源氏物語』の謎を訪ねる旅が始まりました

江戸時代に明石藩領だった地域には、一六五〇年代に明石城主だった松平忠国が立てた石碑や、浜の館(明石入道の住まい)、源氏屋敷(光源氏が仮住まい)、岡辺の宿(明石の君の住まい)、蔦の細道(光源氏が岡辺の宿に住んでいる明石の君を訪ねるために通ったとされる小路)、光源氏月見の池や月見の松など、『源氏物語』にちなむ史跡やいわれのある場所がいくつかあります。

『源氏物語』十三帖は「明石」だから当然のことと、地元ではすっかり生活に溶け込んだ存在になっています。

確かに現在では、全国各地に、物語や映画などの舞台になったところにモニュメントがあふれていて、その作品にゆかりの地であることを示すものがあるのを、私たちは当然のことのように受け止めています。ところが、全国にある『源氏物語』関連の記念碑や史跡は、『源氏物語』の成立千年を記念して行われた事業「源氏物語千年紀」(二〇〇八年)を契機として作られたものが多く、忠国の石碑のように、江戸時代にまでれる〝『源氏物語』ゆかりの史跡〟は、そう多くありません。何よりも、城主が自詠歌を刻んだ石碑を建立したという事例は、他地域には見当たりません。極めて特異な事例です。

単に、石碑を建てた「第五代明石城主 松平山城守忠国が文学好きな殿様だったから」というだけでは説明がつかない、極めて異例の史跡といえます。

しかも、忠国の歌は、

  • 今もたゝのりのしるしにのこる石の こけにきさめる名のミ朽ちせす
  • いにしへの名のミのこりて有明の 明石のうへのおやすみしあと
  • 月かけの光君すむあととへは 岡のやかたにしけるよもきふ

の三首で、どの歌も、どこか悲哀を帯びています。

一首めは平忠度(たいらのただのり)を詠(うた)っていますから『源氏物語』関連ではないのですが、三基の石碑は三つ子の如く、全く同じ大きさで同じ形なので、同時期に設置されたものと見て間違いありません。

そして、この石碑の形状は、「歌碑」というよりも「墓石」のような形をしています。

一基は善楽寺というお寺の境内にあって、私が初めてこの石碑を見た時、「明石入道の碑」には、ガラスのカップに入った日本酒が供えられていました。檀家(だんか)の方々は「よくわからないけど、一緒にお参りしてる」と、教えてくださいました。

これらの石碑が「歌碑」と解釈されているのは、忠国が自詠歌を刻んだ石碑だからですが、その刻まれた文字は、風化していて判読できません。

この石碑のどこに、彫られていたのだろう……ふと、疑問に思いました。

また、忠国の歌は、私たちがもっている「大長編恋愛物語」という『源氏物語』のイメージと一致しません。

なぜ、忠国は、このような歌の組み合わせの石碑を、城下町の東端と城下町に近い大蔵谷村(おおくらだにむら)、そして明石川の支流である櫨谷川(はせたにがわ)をさかのぼっていった松本村(現神戸市西区櫨谷町松本)に、建立したのだろう……

一般的に明石にある『源氏物語』関連史跡はすべて、「文学好きの殿様」、「なかでも『源氏物語』が大好きだった」忠国が作った、とされています。

本当に、そうなのだろうか。では忠国は、いつ、どこで、どのようにして『源氏物語』の知識を深めたのだろう……

明石城主だった時代は晩年の十年間なので、他地域に例を見ない石碑の建立は、忠国にとって大名としての人生の総括、最後の大仕事という意味があったのではないだろうか……

そもそも松平山城守忠国とは、どんな一生を過ごした人だったのだろう……。

忠国が建立したという石碑の前にんでいると、さまざまな疑問がわいてきました。

その疑問の一つ一つを明らかにしたい、との思いから「松平忠国と『源氏物語』の謎を追う」旅が始まりました。

本書では、数々の資料をもとに、次の三章で謎を解き明かしていきます。

なぜ、紫式部は『源氏物語』に明石の巻を書いたのか、を追う「第一章 古典文学と明石」、

松平忠国とはどんな人物だったのか、を追う「第二章 松平忠国の経歴と人物像」、

そして、「第三章 源氏物語と明石」では、忠国が建てた石碑の意味や、今残る「文学遺跡」との関係を考えていきます。

 

忠国の一生と源氏物語との関係を追い求める旅は、思っていた以上に長旅になりました。

たくさんの謎を「解き明かし」ていく作業は、思いのほか困難でしたが、忠国さんが後ろに立って見守ってくださっている、という感覚が常にありました。

謎解きの開始です。どうか、お付き合いください。

義根 益美(よしもと ますみ)

源氏物語 明石のうへのおやすみしあと

源氏物語 ゆかりの地を歩く 巻頭カラーMap。明石初 新資料も続々!巻頭カラー図版で解説。難しい漢字にはルビ付き

 

本書の制作過程では、これまで明石市では、資料が残っていないとされてきた明石5代城主 松平忠国に関する新資料も続々発見。巻頭カラーページにて解説しています。また、難しい漢字には、ルビを付けました。

源氏物語を知らなくても、本書を読みながら、ゆかりの地を歩けば、文学と歴史が楽しめます。

ぜひ、『源氏物語』明石のゆかりの地を歩いてみませんか。

「主な内容」

巻頭カラー 松平忠国と源氏物語 ゆかりの地を歩く Map&図版
第一章
古典文学と明石紫式部はなぜ、『源氏物語』に明石の巻を書いたのか
第二章
松平忠国の経歴と人物像─松平忠国とはどんな人物だったのか
第三章
『源氏物語』と明石忠国はなぜ、石碑を建てたのか。「文学遺跡」との関係は

巻末には総索引があります。

著者プロフィール

・著者・義根益美(よしもと ますみ)

日本近世史を中心に研究。自治体の市史編さん、神戸文学館学芸員などを経て、時代や分野に関係なく幅広く様々な資料と向き合ってきた。現在は地域に残されている資料や博物館所蔵資料の整理・調査・研究に従事し、博物館発行の図録や学会誌に解説や研究発表を続けている。「資料に忠実に」がモットー。神戸女子大学大学院文学研究科後期博士課程中途退学。兵庫県明石市在住。

書籍情報

・書 名:『源氏物語  明石のうへのおやすみしあと』
〜明石城主 松平忠国と物語史跡の謎を追う〜

・目次
「第一章 古典文学と明石」
なぜ、紫式部は『源氏物語』に明石の巻を書いたのか、を追う
「第二章 松平忠国の経歴と人物像」
松平忠国とはどんな人物だったのか、を追う
「第三章 源氏物語と明石」
忠国が建てた石碑の意味や、今残る「文学遺跡」との関係を追う

・著 者:義根 益美(よしもと ますみ)
・発売日:2024年12月5日
・価 格: 2,200円(本体2,000円+税10%)
・判 型:四六判(横127mm×縦188mm×厚さ20mm)
・ページ数:278ページ
・ISBN: 978-4-295-41023-2
・Cコード:C2021
・発 行:株式会社ペンコム
・発 売:株式会社インプレス

書籍情報 https://pencom.co.jp/product/20241205

会社概要

商号 :株式会社ペンコム
代表者:代表取締役 増田 幸美
所在地:兵庫県明石市人丸町2番19号
設立 :2010年12月24日
URL :https://pencom.co.jp/

源氏物語 明石のうへのおやすみしあと

源氏物語 明石のうへの おやすみしあと-明石城主松平忠国と源氏物語史跡の謎を追う

義根益美

¥2,200

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