女たちが語る阪神・淡路大震災 1995-2024

阪神・淡路大震災から30年。なかったことにされた被災地の性暴力。新刊『女たちが語る阪神・淡路大震災1995-2024』から「私の一番長い日」を公開します

女たちが語る阪神・淡路大震災 1995-2024

加害者も被災者や。大目に見てやれ

阪神・淡路大震災から30年を迎え、兵庫県明石市の出版社「ペンコム」では、『女たちが語る阪神・淡路大震災 1995-2024』いいたいことが いっぱいあった~を出版。
避難先で育児や介護の責任が増したりDVを受けたり、男女の格差が色濃く影響した被災状況への怒りと悲しみを書いた震災直後の手記に、寄稿した女性たちの約30年後の思いや、研究者たちによる分析も追加。今もジェンダー平等が進まない社会状況などを問いかける。
編著は女性の支援活動に取り組む認定NPO法人「女性と子ども支援センターウィメンズネット・こうべ」(神戸市)
本書より、同法人代表の正井禮子さんの寄稿文「私の一番長い日」を紹介します。


 

私の一番長い日 

カタカタ……FAXの音で目覚めた、あの朝のことは忘れられない。
1996年に雑誌『諸君!』に掲載された「被災地神戸『レイプ多発』伝説の作られ方」が、雑誌ジャーナリズム賞を受賞したというニュース。友人の記者から「あなたがショックを受けるといけないから知らせるけど、気にしないでね」との文が添えられていた。身体中が震え、日本中の人から「お前は嘘つきだ」と後ろ指を指されているような恐怖に襲われた。

1996年3月の「性暴力を許さない」集会の後、女性のライターから取材を受け、その後「被災地で性暴力はなかった。証拠がない、全てデマである」と実名入りでバッシングされた。

記事が賞をとったことで、マスコミは被災地における性暴力を一切報道しなくなった。人権派の弁護士は「名誉棄損の裁判は長くかかる。活動を継続することで名誉回復する道もある。どちらを選んでも僕はあなたを応援する」と言ってくれた。悩んだ末、私は活動を続ける道を選んだ。

1992年、女性の人権を守り男女平等社会の実現をめざしてウィメンズネット・こうべを立ち上げ1994年に一軒の家を借りて「女たちの家」を開設した。夫からの暴力(DV)の相談が次々と入り、駆け込み寺のような活動も始まりつつあった。

1995年の阪神・淡路大震災で「女たちの家」を閉鎖。「女性支援ネットワーク」を結成し「女性のための電話相談」や「女性支援セミナー」等の支援を行った。

当時、神戸の街は暗く、避難所や仮設住宅、街の中で性暴力が起きた。しかし避難所責任者は「加害者も被災者や。大目に見てやれ」と言った。教室で複数の家族が暮らすようになると「自宅の整理に帰ってる間に、娘が同室の人から性被害にあった」と嘆く母親もいた。

7月に近畿弁護士会がシンポ「被災地における人権」を開催。資料に「高齢者、障碍者、子ども、外国人」の人権はあったが、女性の人権はなく、たった一行「女性が性被害にあったという噂があったが、兵庫県警は1件もない、デマであると否定した」とあった。

「そこでしか暮らせない時に、誰にそれを語れというんですか?」

女性だけでの集会で当事者から仮設住宅での被害体験が語られた。隣の女性が「すぐに警察に訴えたの?」と聞くと「そこでしか暮らせない時に、誰にそれを語れというんですか?」と涙をこぼされた。

1996年3月「性暴力を許さない女たちの集会」を開き240人もの女性が参加した。その後、前述したようにマスコミによるバッシングを受けたのだ。

2004年のスマトラ沖地震で被災したアジアの女性団体は、避難所などにおける「女性の安全」に関する調査を行い、2005年ニューヨークで開催された世界女性会議で「被災地における性暴力は重要課題」と世界へ発信した。彼女たちの勇気ある行動によってエンパワーされ、11月に神戸で「災害と女性」~防災・復興に女性の参画を~を開催した。

3・11東日本大震災発生後、東日本大震災女性支援ネットワークを立ち上げ、「災害・復興時における女性と子どものへの暴力」に関する調査を実施した。2020年3月にはNHKがこの調査報告書を軸として、証言記録「埋もれた声 25年の真実~災害時の性暴力」という番組を制作し大きな反響を呼んだ。「ようやく名誉回復できたね」と多くの友人が喜んでくれた。

防災は日常から始まる。災害時の女性への暴力をなくすには、平時からジェンダー平等への取り組みが不可欠である。


【参考資料】

東日本大震災女性支援ネットワーク「東日本大震災『災害・復興時における女性と子どもへの暴力』に関する調査報告書」
同書は「東日本大震災女性支援ネットワーク」のサイトからダウンロードできます。

http://risetogetherjp.org/?p=4879

 


 

『女たちが語る阪神・淡路大震災19952024』 目次

はじめに
「尊厳ある暮らしを営む権利」を求め続けて
震災直後の記録
1995年◉新聞記事で見る「震災と女性」(1995年2月~11月)
1995年1月17日震災直後の活動記録(ウィメンズネット・こうべ)

阪神・淡路大震災以降、防災対策はどう変わったのか
男女共同参画の視点による防災対策の変遷~阪神・淡路以降、どこまで進んだのか~ 特定非営利活動法人NPO政策研究所専務理事 相川康子

1章 マグニチュード7・2の不平等避難所・仮設住宅
2章 震災下の妊婦・こどもたち
3章 人権女性・高齢者・障害者・外国人
第4章 仕事と家族
第5章 こころとからだ、震災報道
私の一番長い日
1995年◉座談会 地震から半年が過ぎて

[特別寄稿]明日に向けて 配慮から参画へ
減災と男女共同参画研修推進センター共同代表
静岡大学グローバル共創科学部教授 池田恵子

まとめにかえて
「女たちの家」から「六甲ウィメンズハウス」への30年の歩み


 

編著者 正井禮子プロフィール

認定NPO法人女性と子ども支援センター ウィメンズネット・こうべ代表理事。1992年から、男女共同参画社会の実現と女性の人権を守るため、「ウィメンズネット・こうべ」を発足。1994年、「女たちの家」を開設するも震災で失う。震災直後、「女性支援ネットワーク」をたちあげ、物資の配布や「女性のための電話相談」、「女性支援セミナー」など被災女性の支援を行う。2005年、シンポジウム「災害と女性~防災と復興に女性の参画を~」を開催。災害を女性の視点から検証し、防災・復興計画の策定に女性の参画の必要性を訴えた。2011年、東日本大震災女性支援ネットワークの発足に尽力し、「被災地における女性と子どもへの暴力被害」調査に関わる。各地で予測される災害に向けて全国で講演活動を行っている。
[主な受賞歴]
2004年 国際ソロプチミスト ルビー賞WHW(女性が女性を助ける賞)
2013年 井植(いうえ)文化賞(社会福祉部門)
2018年 フィッシュファミリー財団(本部:米国ボストン)チャンピオン・オブ・チェンジ日本 大賞(CCJA)
2024年 関西財界セミナー賞 輝く女性賞
〃   神戸新聞平和賞

編者・認定NPO法人女性と子ども支援センター ウィメンズネット・こうべ

ウィメンズネット・こうべは、1992年4月、男女平等社会実現のための学びと出会いの場を求めて発足。2007年3月20日法人格を取得し、2015年3月23日、神戸市より認定NPO法人として認定。女性問題に関する学習会のほか、さまざまな思いを持った女性がゆるやかにつながりあえるネットワークづくりや女性のための支援活動を続けている。1995年1月17日の阪神・淡路大震災以降は、「女性に対する暴力」をなくすための活動、特にDV被害者の支援に力を注ぎ、緊急一時保護やDVに関する学習会・サポーター養成講座、高校生・大学生のためのデートDV防止講座、DV被害者相談などを行っている。女性と子どもの支援と仲間づくりのための居場所「WACCA」、困難を抱える女性の自立支援住宅「六甲ウィメンズハウス」も運営。
▶ホームページ  認定NPO法人女性と子ども支援センター ウィメンズネット・こうべ

https://wn-kobe.or.jp/


 

基本情報

・書 名:『女たちが語る阪神・淡路大震災 1995-2024』
-いいたいことがいっぱいあった
・編 者:ウィメンズネット・こうべ
・発売日:2024年12月5日
・価 格: 2,200円(本体2,000円+税10%)
・判 型:四六判(横127mm×縦188mm×厚さ12mm)
・ページ数:260ページ
・ISBN:978-4-295-41041-6
・Cコード:C0036
・発 行:株式会社ペンコム
・発 売:株式会社インプレス

01webicon2024震災

女たちが語る阪神・淡路大震災1995-2024 いいたいことがいっぱいあった

ウィメンズネット・こうべ

¥2,200

1995年1月17日、阪神・淡路大震災発生。当時の女たちの語りと30年後を併記。何が変わり、何が変わらなかったのかを社会に問う

在庫10 個