20180116akatonbo

「赤とんぼ」励みに耐えた夫婦 神戸忘れ難く避難所へ(23年前の新聞記事より)

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それぞれの「生き方」を変えていく阪神・淡路大震災

ここに1枚の新聞記事のコピーがあります。
『そして、初夏④ 激震・第2報』「赤とんぼ」励みに耐えた夫婦 神戸忘れ難く避難所へ
23年前の阪神・淡路大震災で被災したご家族の避難時生活を追った記事です。

崩れ落ちた天井と床のすき間は約30センチ。ここに11世帯16人が閉じ込められた。……
地震発生から21時間。「このまま死んでしまうかもしれない」と思った。気を失った夫の耳に妻の「赤とんぼ」の歌が響いてきた。

この新聞記事は、1冊の本を編集しているときに、著者から届いた一通の手紙に同封されていました。
手紙には、「わたしの声楽の原点です。切り抜きをたいせつにとっていました。」と添え書きされていました。

歌は生きる意欲を引き出します

やがて、本が出版され、著書『「赤とんぼ」で学ぼう 歌が上手くなる「シンプル声楽法」』の「おわりに」に、著者・中野陽子さんは次のように書いています。

1995年1月17日の阪神・淡路大震災の折、崩れ落ちた天上と壁、倒れた家具に埋もれながらも自らと周囲を励ますように、「夕焼け、小焼けのあかとんぼ……」と歌った女性の記事が新聞に掲載されました。
また、2011年3月11日の東日本大震災では、避難した学校の体育館の2階で一夜を明かした児童たちが『校歌』を歌って励ましあい、皆で救助を待ったといいます。
2004年10月20日には、台風23号で濁流に呑まれ水没したバスの屋根で高齢者23人が『上を向いて歩こう』を歌って夜を明かしました。

歌は生きる意欲を引き出します。生命に灯をともすという、原始より人間の生の営みを根源とする行為だからでしょう。

「原点」……

中野さんは、童謡「赤とんぼ」の作曲家・山田耕筰の愛弟子 嘉納愛子先生の門下生。いわば、孫弟子にあたります。
この新聞記事をきっかけに、彼女もまた「歌」を通じて世の中に自分ができることに取り組んでいきます。

23年前、あのがれきに押しつぶされ、猛火に焼かれた「生きたかった命」。
その命の分まで、生き続けなければならないのだと思いを新たにしています。

震災23年めの1月17日によせて—–

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兵庫県明石市の出版社 ペンコム

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