寛永行幸四百年祭連携事業寛永行幸四百年祭連携事業inひょうご
11/15(日)善楽寺(明石市大観町)にて講演会開催 参加者を募集中

『源氏物語』の記憶を刻んだ城主
ーー 松平忠国が篠山・明石にもたらした寛永文化の輝き
400年の時を越え、その知られざる足跡をたどる

【2】二条城行幸図屏風(左)

写真:「二条城行幸図屏風」左隻 江戸時代(京都市指定文化財 泉屋博古館蔵)

400年前、京都の大舞台で重要な役割を果たす!
謎多き城主・松平忠国を解き明かすヒントは寛永文化にあり?

寛永行幸四百年祭連携事業inひょうごの開催へ

寛永行幸四百年祭連携事業inひょうご実行委員会(実行委員長:相島淑美 神戸学院大経営学部教授)は、2026年11月15日(日)、兵庫県明石市の善楽寺(戒光院・円珠院)にて、講演会「寛永行幸四百年祭連携事業inひょうご 『源氏物語』の記憶を刻んだ城主―松平忠国が篠山・明石にもたらした寛永文化の輝き〜丹波篠山城主(1620~1649)、播磨明石城主(1649~1659)として〜」を開催します。参加無料、定員50名(先着順)。現在、参加者を募集しています。

大坂夏の陣(1615年)からわずか11年後の寛永3年(1626)、後水尾(ごみずのお)天皇が大御所(2代将軍)徳川秀忠と、3代将軍家光の招きに応じ二条城に行幸した「寛永行幸」が行われました。

天皇が御所を出ること、ましてや武家のもとに出向くのは歴史上数度だけと異例なことで、 都をあげての歴史的行事であり、天皇を迎えるために二条城は大改修され、5日間にわたり、舞楽、能楽、和歌など華やかな催しが繰り広げられました。

混乱のなかから新しい時代が始まり、ようやく人々が平和を実感できるようになった、その象徴でもありました。(『京都二条城と寛永文化』P7より)

そして、この歴史的な一大行事に関わり重要な役割をはたした大名の一人に、丹波篠山城主、のちに、播磨(はりま)明石城主となる松平忠国がいました。
京都では、「寛永行幸」から400年を迎える2026年、 行政・経済界・文化芸術団体等によるオール京都の組織「文化庁連携プラットフォーム」のプロジェクトとして、 寛永行幸四百年祭が年間を通じ行われています。

寛永行幸四百年祭連携事業inひょうごは、寛永行幸四百年祭連携事業として認定され開催するものです。

▶【公式】寛永行幸四百年祭ホームページ

善楽寺-明石入道の碑

写真:明石入道の碑(善楽寺)

11月15日、400年の時を越えて明石で開催

『源氏物語』の記憶を刻んだ城主
松平忠国が篠山・明石にもたらした寛永文化の輝き(於:善楽寺)

寛永行幸四百年祭実行委員プロデューサー 濱崎 加奈子氏は、【公式】寛永行幸四百年祭ホームページに、次の様に書いています。
「全国から大名が集い、九千人に及ぶ行列が京都のまちを巡った寛永行幸、(略)巨大な文化事業をともに成し遂げた経験は京都にとどまらず全国へと広がり、多くの才能が開花しました。」

では、二条城の改築や寛永行幸において重要な役割を果たした松平忠国の国許、篠山、明石ではどうだったのでしょうか。

▶どんなお殿様だったんだろう。
▶後に、丹波篠山城主(1620~1649)、播磨明石城主(1649~1659)となり、国許にどんな文化をもたらしたのだろう。
▶忠国が国許にもたらした功績を広く知りたい。みんなで分かち合いたい。
▶ひょっとしたら、寛永行幸の絵図にまだ見ぬ忠国の顔が描かれているんじゃないだろうか。
▶故郷の歴史に触れ、このまちに住んで良かったと実感したい。
そんな思いを込めてイベントを企画しました。

本事業では、寛永行幸を起点に、残された史跡や史料などから、多くの謎が残る松平忠国の足跡と、篠山、明石へとつながる寛永文化の影響をたどります。
講師は、日本近世史研究者で『源氏物語 明石のうへのおやすみしあと』著者の義根益美さん。
会場は、忠国が「明石入道の碑」を建立し、『源氏物語』明石史跡始まりの地とされる「善楽寺」。当日は、寛永行幸・寛永文化に関する史料等の展示も行います。(12時開場)

寛永行幸から400年。京都、丹波篠山、明石を結ぶ歴史と文化を、残された史料とともにひもとき、「体感」する機会です。歴史や文学、地域文化に関心のある方をはじめ、広く参加者を募集します。

また、会場周辺は、『源氏物語』13帖「明石」ゆかりの文学遺跡が多くあります。せっかくの機会ですので、ぜひ散策も楽しんでください。

下記のチラシ、裏面は「松平忠国と源氏物語ゆかりの地MAP」です。ダウンロードして,ご利用ください。

▶寛永行幸四百年祭連携事業inひょうごチラシダウンロード(PDF)
(裏面が
松平忠国と源氏物語ゆかりの地MAP)

開催概要

イベント名
 寛永行幸四百年祭連携事業inひょうご
  『源氏物語』の記憶を刻んだ城主
  ーー 松平忠国が篠山・明石にもたらした寛永文化の輝き
日時 2026年11月15日(日)13:00~15:00(開場:12:00)
会場 善楽寺(戒光院・円珠院)2階会館 兵庫県明石市大観町11-8
講師 義根益美(日本近世史研究者/『源氏物語 明石のうへのおやすみしあと』著者)
内容 講演(2階)、および、寛永行幸・寛永文化に関する史料等の展示(1階)
参加 無料
定員 50名(先着順)
主催 寛永行幸四百年祭連携事業inひょうご実行委員会(実行委員長:相島淑美神戸学院大教授)
後援 兵庫県、兵庫県教育委員会、神戸新聞社、サンテレビ
協力 善楽寺(戒光院・円珠院)
問合せ ひょうご実行委員会事務局(増田)電話080-4243-0391

【講師紹介】
義根 益美(よしもと ますみ)
日本近世史を中心に研究。自治体の市史編さん、神戸文学館学芸員などを経て、時代や分野に関係なく幅広く様々な資料と向き合ってきた。現在は地域に残されている資料や博物館所蔵資料の整理・調査・研究に従事し、博物館発行の図録や学会誌に解説や研究発表を続けている。「資料に忠実に」がモットー。神戸女子大学大学院文学研究科後期博士課程中途退学。兵庫県明石市在住。著書に『源氏物語 明石のうへのおやすみしあと』(ペンコム)など多数

▶当日のチラシ表/裏(PDF)ダウンロード

松平忠国が生きた時代

松平忠国は
どんな人だったのだろう

徳川家に仕える譜代大名として、丹波篠山、そして明石を治めた松平忠国。
その一方で、和歌を詠み、茶をたしなみ、焼物をつくり、『源氏物語』などの古典文学にも親しんだ文化人でもありました。
京都では、桂離宮を造営したことで知られる八条宮智仁親王、 その子・智忠親王らと長年にわたって交流。
皇族や公家、文化人たちが集う、当時の京都の文化サロンに出入りしていました。

▶松平忠国(慶長2~万治2年<1597〜1659>)

丹波篠山城主(元和6~慶安2年<1620〜1649>)
播磨明石城主(慶安2~万治2年<1649〜1659>)

・寛永行幸:寛永3年(1626)9月6日〜10日(新暦:10月25日〜29日)
→忠国29才 丹波篠山城主

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写真:〔桂宮文書 〕松平忠国書状 (宮内庁書陵部所蔵 )

忠国と八条宮家との交流 宮内庁書陵部に残る22通の書状

忠国と八条宮家との交流を今に伝えるのが、宮内庁書陵部に残る22通の書状です。
そこには、和歌の添削をお願いしたり、自ら焼いた茶碗や花入れを贈ったり、松茸やわかさぎの粕漬けを届けたり――。400年前の人と人との親しい交流が見えてきます。

丹波篠山-黒馬

松平忠国奉納絵馬「黒神馬 」丹波篠山春日神社奉納絵馬殿 1649(慶安2)年(丹波篠山市指定文化財)

篠山に残る絵馬「黒神馬」

忠国は、京都の文化人たちと交流を重ね、1620(元和6)年に丹波篠山城主となり、 1649(慶安2)年には播磨明石城主となります。
そして篠山と明石には、忠国と文化との深い関わりを今に伝える史跡が残されています。

慶安2年(1649)、篠山城主だった松平忠国が奉納した絵馬「黒神馬」が、丹波篠山 春日神社の奉納絵馬殿に現存しています(丹波篠山市指定文化財)。
「筆勢まことに見事で、狩野尚信(かのうなおのぶ)の筆と伝えられています」(同神社の説明パンフレットより)。
尚信(慶長12〜 慶安3年<1607〜1650>)は狩野孝信の次男で狩野探幽の弟。寛永文化を代表する絵師です。
1649年は、忠国が篠山を離れ、明石城主となった年でもあります。

源氏物語ゆかりの石碑

右から「明石入道の碑」(善楽寺)、「平忠度(たいらのただのり)の碑」(忠度塚)、「岡の屋形の碑」(岡之屋形跡)

明石に残る、3基の石碑

明石には、忠国が自ら詠んだ歌を刻んだとされる、ほぼ同じ形・大きさの石碑が3基残っています。
善楽寺、岡之屋形跡、忠度塚。

歌に「明石のうへの おや」「岡の屋形」を詠んでいることから、忠国が『源氏物語』13帖「明石」にちなんだ文学史跡を次々と創ったと解釈され現在に至っています。
今も私たちが物語の世界を追体験できるのは、忠国のおかげともいえます。形も大きさもほぼ同じ。
それらは、まるで三つ子のように、ひっそりと建つ。
京都で古典文学や和歌に親しんだ忠国と、明石に残るこれらの史跡――。
忠国は、これらの石碑にどんな思いを込めたのでしょうか。

本イベントは、こんな方におすすめです

・京都の寛永文化が、兵庫へどうつながったのか知りたい方
・『源氏物語』と明石のつながりに興味がある方
・松平忠国について知りたい方
・明石や丹波篠山の歴史に興味がある方
・古文書や史料から歴史を読み解く面白さに触れてみたい方

歴史の専門知識は必要ありません。
400年前の京都と、いま私たちが暮らす兵庫との意外なつながりを、一緒にたどってみませんか。

「歴史の再評価」は郷土愛を育む

最後に、『ぶらり子午線観光ガイド30周年記念誌』より、ボランティアガイドさん(OB)の文章を紹介します。

「5代明石城主•松平忠国と源氏物語」

およそ400年以前の人物が遺した史跡が、明石では観光名所として、今も活用されている。
光源氏と明石の君を題材とした”源氏物語史跡”で人々を呼び込む名所づくりをしたのだと現役の時には思っていた。
それほど源氏物語を愛好する殿様が明石にいたのだ、と往時には思っていた。
しかし、最近、ある本を読んだおかげで、忠国は公家から武家に政権をスムーズに奪取するため、仲間の諸大名と一緒に、源氏物語に出てくる公家のしきたりや有職故実の研究を重ねていたことを知った。
同時に公家から政権を奪取した平家の研究も怠らず、明石で最期を迎えた平忠度を詠んだ歌碑も建立している。
嫡男の信之が徳川幕府の老中として活躍したのもこのような背景があってのことだと思われる。
私の眼を開かせてくれたその本は今も入手可能だ。

参考図書

  • 『京都二条城と寛永文化』京都・二条城協議会・編、青幻舎、2022年
  • 『二条城行幸図屏風の世界』実方葉子・執筆、泉屋博古館・編、サピア・発行、論創社・発売、2014年
  • 『京都かがみ』濱崎加奈子・著、エムディーエーコーポレーション・発行、インプレス・発売、2021年
  • 『源氏物語 明石のうへのおやすみしあと』義根益美・著、ペンコム・発行、インプレス・発売、2024年
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