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唯生論

唯生論 シベリア抑留の恩讐を乗り越えた音楽人生

田中唯介(著)

¥1,100

死ぬよりつらいシベリア抑留、そして、戦後。94歳、現役音楽家が著書に綴ったのは「恩讐を乗り越え生きる」ということだった。

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内容紹介

「恩讐を乗り越え生きる」
94歳、現役音楽家が初めて綴るシベリア抑留と戦後

消そうとしても消すことのできない、
人間同士が憎しみ合い、殺し合うという
残酷な体験を強いられ、
その傷痕は、勝者にも敗者にも影響を及ぼしている。
如何に生きるべきか、如何に生命を繋ぐべきか。
抑留中にベルリン・フィルから学んだ
音楽を活用して、恩讐を乗り越えた人生を
「唯生論」として伝えたいと
日夜、原稿と向き合うこととしました。
著者・田中唯介

田中唯介さん94歳。アコーディオンを抱き、弾く、語る、唄う、話す。1人4役をこなす現役の音楽家・作曲家だ。明るく飄々、陰りは微塵もない。

しかしその過去は過酷そのもの。召集令状がきたのは19歳の誕生日。戦地・満州で終戦。祖国に帰れる。「ダモイトウキョウ!」(東京への帰還)。だれもがそう信じて乗り込んだ列車だったが40日後に行き着いたのはロシアの捕虜収容所だった。
20歳からの4年間をシベリア抑留、強制労働で過ごす。死ぬよりつらい日々を送り、凍傷で3本の指を失う。帰還後もシベリア帰りは共産主義者だという偏見で仕事もなく「そりゃあ、世間を恨みましたよ」と振り返る。

そんな田中さんに生きる望みと糧を与えたのは、抑留中に同じ捕虜だったドイツ人ベルリン・フィルソリストから学んだ音楽だった。
障害の残る指でアコーディオンにしがみつくように訓練をし、やがて音楽で身を立て、「引揚友の会」の立ちあげ、「舞鶴引揚記念館」の設立、「引揚桟橋」の復元に尽力。

そんな彼が、94歳となった今、初の著書に綴ったのは「恩讐を乗り越え生きる」ということだった。

シベリア抑留と音楽の関係は

シベリア抑留中の音楽・文化活動は、その後の日本人に大きな影響を与えたと言われています。ロシアと日本、二つの音楽文化の相互作用の研究を進める日本学術振興会特別研究員(大東文化大学)の森谷理紗さんが、田中唯介さんに行ったインタビューの様子を巻頭に収録しています。

唯生論モバイル

目次

欣喜雀躍 3
はじめに 4
ソ連領内日本人収容所分布概要地図 8
資料編 10
略歴 18
巻頭インタビュー 20
「唯生論」出版にあたって 40

シベリア抑留 45
極寒の地─地獄の日々を救った音楽

引揚─音楽活動 57
生き延びるための手段の音楽が、人生の糧に

舞鶴行─戦争・抑留・引揚の公演活動 83
寒さに震えたものほど人間の温かさを知る

唯生論
明日へ伝えたい平和 101

おわりに 112

まぶたの桟橋、舞鶴よ 114
輝け・播磨町賛歌 115
新高砂行進曲 115

辞世の句 118

おわりに

著者

田中唯介(たなかゆいすけ)

著者 田中唯介

音楽家・作曲家。大正14年11月10日、兵庫県加古郡阿閇村(現、播磨町)に農家の長男として生まれる。第二次世界大戦後4年間シベリアで抑留生活を送り、飢餓、極寒、重労働と戦い、捕虜生活中、アコーディオンをドイツ人のベルリン・フィルソリストに学ぶ。

帰国後、生活のためにアコーディオン演奏活動をはじめ、各企業や自治体で音楽講師を務めた。

舞鶴市引揚記念館の建設、引揚桟橋の復元、全国引揚友の会結成に尽力。現在は同会副会長を務める。作曲家として数多くの作品を発表し、平成30年、日本作曲家協会功労賞受賞。

94歳の現在も、戦争・抑留・引揚の哀歓のドラマをアコーディンで弾き・語り・唄い、そしてトークと、一人4役をこなす現役の演奏家として全国を飛び回っている。

田中音楽堂:兵庫県高砂市高砂町栄町318-5 TEL/FAX:0794-42-0913

基本情報

書名:唯生論 シベリア抑留の恩讐を乗り越えた音楽人生

著者:田中唯介
発売日:2019年8月21日
定価:1,000円(税別)
版型:A5
ページ数:120ページ
本文色:1色
ISBN:9784295403371
Cコード:0095
発行:株式会社ペンコム
発売:株式会社インプレス